田舎草子

Prose of INAKA

七夕の夜に

あっという間に今年も七夕がやってきた。個人的に特別な何かがあったりするわけでもなく、天の川を見上げて、一年に一度の逢瀬に浸る彦星と織姫に思いを馳せることもない。短冊に願いをしたためて笹に吊るすこともしなくなって久しい。
わたしにとってはなんでもない日ではあるが、七夕が来るとともに、今年もまた夏がはじまるのだと実感する。
ようこそ、夏!


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七夕を意識しなくなってどれくらい経つだろうか。幼少の頃のわたしは、「ウルトラマンになりたい」と書いた短冊を笹の葉の下の方にぶら下げ、たなばたさまを声高らかに歌ったものだ。
あれから長い時間が過ぎ、立派に育ったわたしはどんな願いをしたためるのだろうか。せっかく日本人に生まれたのだから、こうした季節の移り変わりや昔からの伝統には機微でありたいものだ。
ちなみに、今のわたしはきっと「不労所得!」という下卑た願いを書くだろうな。我ながら子供の頃の純粋さがまるでない大人になってしまったものだなぁ、と思う。


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今、この記事は、お酒を飲んで、音楽を聞きながら書いている。とてもいい気持ちだ。
音楽はアントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」という曲で、自分がしっかりしていれば大丈夫、という感じの曲。

 


Antonio Carlos Jobim - Águas De Março

しっかりしていかなきゃなぁ。
短冊にはせめて「不労所得を得るためにがんばれますように」くらいは書いておこうかな。
今年も暑い夏になりそうだ。

カメラと遠出したはなし

大学4年の冬に初めて自分のカメラを買った。もうすぐ卒業だったこともあり、大学時代最後の思い出をちょっといいカメラで撮っておきたいと思い立ったからだった。
当時のバイト代の大半をつぎ込んで買った、とてもキュートなカメラだ。もちろん買った直後はウキウキで肌身離さず何処へ行くにもお供にしていたが、職についてからはとんと写真を撮ることもなくなってしまった。
そんなカメラを久しぶりにひっぱりだしてすこし遠くへ行ってみよう、とふと思い立った。金はないが時間はある。こんなにもすっきりと晴れた日だ。きっと何かいいものが転がり落ちている。


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自宅から一時間半ほど車を走らせたところにある隣県の道の駅までの旅。約2年ぶりに訪れたのだけれど、季節が違えば見えるものも違っていた。
この道の駅は、施設の脇に広い森林公園や池があるところで、以前訪れた時は池に鴨がたくさん飛来していた。
だが今日は、鴨はおろか野鳥の一羽もおらず、見つけることができたのは池の主とも思えるような巨大な鯉ただ1匹。
そしてあっという間に消えてしまったカナヘビくらいだった。


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正直がっかりしながらも、、二つ目の道の駅へ。ここは一つ目と比べれば規模はかなり小さく、建物もだいぶ古くなっているところだが、前のところにはないものがあった。
それは、ソフトクリーム である。わたしはこういうところに来たら必ずソフトクリームを食べることにしている。道の駅ごとに種類は違うし、ご当地モノがあることも多い。
今日はバニラとチョコレートのミックスだ。今日の気温も相まってべらぼうに美味かった。


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「書を捨てよ、街に出よう。」の言葉を思い出してすこし遠出をしてみたが、街ではなく全くの逆、山の方へ分け入っていく形になってしまった。
それでもよかった。ただ茫漠とした時間を無為に過ごすだけの現状を変えたかっただけ。またいずれ違う季節に違う出会いを果たしてみたい。
惜しむらくは撮った写真を載せようとしたらSDカードをフォーマットしろと言われてしまったことだろうか。

田舎の大学生

みなさんは「田舎の大学生」と聞いたときに、どのようなイメージを思い起こすでしょうか。
パッとしない芋臭い若者?いかにも大学デビューしたような痛々しい出で立ちの人々?
交通の便が悪く、品揃えのよくないスーパーがちらほら点在しているような所でようやく暮らしているような学生?etc…

…まぁこれらすべてが私の大学時代のことなのですが。
今回お話したいのは私の恥ずかしい大学生像などのことではなく、「田舎の大学生」というタイトルの曲についてです。
先日twitterで「田舎の大学生という曲にめちゃくちゃ思い入れがあるからまたあとで話すね」という旨のつぶやきを投稿しました。
そこで早速ですが、その「田舎の大学生」という曲について話しちゃいましょう。

 

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この曲は、2009年発売のKNOTSさんのアルバム「ヘルメンマロンティック」の1曲目に収録されている曲で、KNOTSさんのネットラジオ等の配信でもよく演奏されている曲です。
残念ながら現在、アルバムは廃盤になってしまいましたが、ご本人様のホームページ等で聴くことができます。
この記事で気になった方がいらっしゃいましたらぜひ聴いてみてくださいネ!(ダイマ)

 

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高校を卒業し、大学に入学した私は「大学生になったからには思う存分自由を謳歌するんじゃ^~」という下卑た欲望に駆られ、バラ色のキャンパスライフを現実の物とするべくいろいろ頑張ってました。
ところが、そこは田舎の大学。一通りが終わり、一歩キャンパスを出ればそこにあるのは寒々しく広がる景色と家へ帰るために伸びる道だけでした。
見知らぬ土地での一人暮らし。あまりにもさみしいじゃありませんか。そんな時に心の拠り所となったのはインターネット…。
ある日、家に帰った私がネットサーフィンをするなかでふと目にとまったのが作者のKNOTSさんの個人ホームページ「ノッツクリーム」でした。
私がKNOTSさんを知ったきっかけは某ゲームの掲示板に投稿されていた漫画でしたから、「この人、曲も作ってる!CDまで出てる!」とすごく驚いたものです。


ここで話を戻しましょう。アルバム「ヘルメンマロンティック」の1曲目、「田舎の大学生」という曲はどのような曲なのか。
それは、端的に言ってしまえばわたしの大学生活そのものなのでした。

 

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二両の電車は走る 送り出した風を受けて 煙は一様に流れてく   

こんな歌詞から始まる曲、入学して間もなかった私にはたまりませんでした。まさに今の自分じゃありませんか!
この歌詞から始まる曲の中で生きているのは、田舎の大学という日本のほとんどを占めるような舞台で生きて、もやしを炒め、安い発泡酒をあおるような普通の大学生。
自分が遠く置いていかれてしまうような、想像しかできないような遠い場所や現実では存在できないようなファンタジーのような世界ではなく、田舎の、大学生のリアル。
何気なく流れていく日常の中にほんのちょっぴり刺激がある、そんなことが想起されるメロディや歌詞。

そりゃあ何度も何度も聴きました。すぐにアルバムを買って、すぐに携帯音楽プレーヤーに突っ込みましたよ。
進級がかかった試験の追い込みや、胃が痛くなるほどイヤなバイトへの通勤途中、徹夜のレポート…。この曲は私のすぐそばにありました。
そして大学を卒業した日、この曲を聴いた私はやはりたまらなくなって。

ああ、この曲に生きていたのはやはり自分だった。

 

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「田舎の大学生」は大人になった今でも大好きだし、何かあるとすぐ聴いて大学時代に戻りてぇ~とセンチメンタルに浸ってしまいますね。
個人的にはこのアルバムでは、この曲の他に「海沿い」が好きです。なによりメロディーがキラキラしていてきれいなんですよ。
オタクは自分語りが大好きだから、どんなに恥ずかしくてもお酒の力を借りればこんなことも書いちゃう。
でも理屈より「これ、めちゃめちゃええやん!!」みたいな勢いが大事だと思います!身も蓋も無いけど!

最後に。この記事で伝えたかったことは、「田舎の大学生」という曲とヘルメンマロンティックを持ってるゾという自慢。
そして「田舎の大学生」だった私は今、「田舎の社会人」としてもやしを炒め、安い発泡酒をあおるようになっているということです。

 

 

ヘルメンマロンティック

ヘルメンマロンティック